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高山 文彦L

 昭和49年の春は3月、当時では珍しく6名の新会員が一挙に入会した。現在残っているのは2名(L松持とL高山)だが、
楽しくクラブ活動を体験した。昭和54年、宮原会長時の指名委員会で難行していた次期梅田執行部の幹事役に
「灯台もと暗し」との一言で幹事指名を受けた。五役会は全然アルコールは無縁、コーヒー漬けの1年間を思い出す。

昭和59年の田丸会長時には、「何もせんでいいから」とL栗秋幹事にひっ付き名ばかりの会計を勤めた。
固辞し続けた会長就任は平成6〜7年で、キャビネット重点目標のCSFも2年目、取り組みにも若干の余裕があり、
まずは例会出席率の向上を目標に楽しく参画出来る例会づくりに伊田幹事を筆頭に取り組んだ。7月の第一例会を
北九州プリンスホテルでフランス料理マナー講習会(参加者58名)を手初めに、隔月にバイキング例会や季節毎の
楽しい例会開催に力を入れた。

何年振りかのYE交換学生としてマレーシアからの女子学生を受け入れた。ゾーンはもとより3R内の各クラブと
交流した楽しい思い出もある。またL中村泰山からの要望で、広範囲の追跡調査を実施し感謝の手紙を戴いたのも
思い出の一つである。

現在の反省点は、入会当時の熱い情熱が薄れ、クラブの一員としての活動にも何か意気を失した自分を感じている。
原点に戻ったあの頃の躍動感溢れた自分の再発見に努めたいと、入会32年目のL高山文彦は静かに回顧された。
                                        
                                                 (取材 松持允裕・中尾佳徳)